らっちの雑記

ブログネタにもならない雑記を書きなぐってみる

日記:2022/9/19

台風につき週末の日記はお休みでした...、ということでもなんでもなく、週末はPCの前に座ることなく過ごし、ただ家でグダグダしてただけでした...。

デジタル「プチ」断食

「情報の出し入れ(インプット/アウトプット)」という話をよく日記でしているのだけれど、普段の生活においてはいろいろな情報が四六時中入ってくるのが今の世の中だ、と思っている。ただ、その情報はすべて必要なのか、と聞かれると、それも違う、つまり全部はいらないよね、と思う。

ITエンジニア的な言い方をすると、今どきの情報は「プッシュ(受動的)」型で入ってくる。もちろん情報が必要な時に「プル(能動的)」するという意味で、例えばスマホアプリを開いたりするわけだが、そこにある情報はすべてパーソナライズされた状態でプッシュできる状態になっている、とでも言おうか。

そのプッシュ型のデータ配信が過剰になっている、と感じることはよくあるし、「パーソナライズ」は実際にはその人の趣味嗜好に対して関連のある範囲を含んでおり、それが新たな興味関心を呼ぶことになるのはわかるのだが、それが必ずしも必要ない、と感じることも多い。

そんな時には意図的に情報を遮断することにしていて、特にスマホのニュース系アプリやSNSを開かないとか、そもそもテレビでニュースを見ないとか。この週末は台風以外のニュースはかなり意図的に遮断した気がしている*1

何がいいのか、とかそうすべきなのか、とか言うことを論じるつもりもないけれど、単純に「情報が多すぎてなんだかなぁ」と思ったときに情報を遮断する、というだけのこと。これだけでアタマはスッキリする。

エリザベス2世の国葬について

そんな「情報過多」の時代。テレビでの中継まで見られるとは思いもよらず、荘厳な、まさに「国葬」と言う風格のある国葬を見ていたのだけれど。

なぜ黙とうの時間にもアナウンサーやら解説者はしゃべり倒すのか。放送コード、と言うかいわゆる「放送事故」になってしまうことを恐れているのか、それともひたすら細かい情報を入れていくことで視聴者の関心を惹きたいのか、それはわからないのだけれど、正直言えば、「そんな情報、要る?」

今見ている人の中には本当に哀悼の気持ちをもって見ている人だっているだろうし、クイズの雑学じゃあるまいし、ただただ無駄な情報を垂れ流されても気分が悪くなるだろうに。そんな余計な情報を入れずとも、雰囲気だけでわかる。後で余計な情報は付け加えてくれてもかまわないが、今はただ最後のお別れをさせてあげて欲しい。

テレビが悪、とかいうつもりはないけれど、「ダサい」とは思っちゃうかな。

*1:さすがに台風は気になるので