らっちの雑記

ブログネタにもならない雑記を書きなぐってみる

コロナ感染日記:Day9(2/16 Thu)

まずは無事に2日連続で陽性反応が出なかったことをご報告。

2/15の夜に(抗原)検査をしたところ陽性反応が出ず、2/14に続いて2日連続で陽性になっていない、という状態です。おそらくこれで「陰性(≒治った)」かな、と考えています。

症状について

もともと日記でも書いてきたように、表立った症状は鼻から喉、気管支にかけての「風邪のような」症状のみで、咳が多少出て痰が多く出るかな、というくらいだったので、それほど酷くなかったように思う。

もちろん、症状の感じ方は人それぞれだし、俺と同じような(鼻や喉の)腫れが出ていたとしても、途轍もなく辛く感じる人もいるだろう。また、発熱についても体質的に熱が出にくい人もいるだろうし(≒俺みたいに)、逆に熱が出やすい人もいるだろう。

今は、と言えば、平常通りかな、とは思うが、まだ痰も出るし、鼻のつまりも気になりはする。

症状については何か気になる「後遺症」的なモノが出てきたら随時報告するようにしたい。

生活について

外出を控えたことを除けば日常生活に関してもほぼ支障がなかった。食事・睡眠も普通にするし、玄関先に来客があれば普通に対応したし*1、仕事に関してはほぼ平常通りにやっていたし。

外出に関して言えば、さっさと買い物ができ、さほどコミュニケーションを取らなくてもいいコンビニはつくづく便利だと思った。立ち読みをする習慣が全くないので、雑誌コーナーにずっといるということもなく、ただ用足し(主にタバコの購入)をするだけのためなので、滞在時間も数分程度。

コンビニが安全であるか、また、陽性反応が出ていた人間が*2出入りしたコンビニ(およびその地域)は安全なのか、という議論はあるだろうが、少なくともそのコンビニは地元密着型であり、近隣住民の利用が主で、近隣でコロナが大流行した、という話を聞いていないことを考慮すれば、コンビニは安全だし*3、近隣地域も安全であった、と言っていいはずだ。

そもそも「感染症」は感染しないことよりもさせないことを考えるべきだと思っていて、インフルにせよコロナにせよ、自分は感染するかもしれない、でもそうなった時にほかの人には感染させない、という行動様式を取るべきなのではないか。そのための「感染防止策」ではないのか。

懸念すること

今までの懸念と少し違うこと、陽性反応が出ていた頃の「治るのか」「生活がどうなるか」、または後遺症に関する不安と言った懸念ではなく、「コロナ禍」との付き合い方、みたいな懸念を実は持っている。

1月末あたりに報道されていた『コロナウィルスの感染症法上の分類変更(2類→5類)』に始まる、コロナウィルスに対する環境の変化である。方向性として、国の指針は今までより緩和されていく、ということだと理解をするし、それに伴って自治体などの公共系のルールも緩やかになっていくのだろう、と推測できる。

実際に感染するヒトという生き物の側から見ても、マスク着用や「三密」なる感染しやすい要件の緩和であったり、様々な「コロナ禍」ルールの撤廃の動きは実際に起こり始めている。

それ自体は悪いことではないし、過剰であったかという議論は置いておいても、今までの少しギクシャクとした行動様式よりは過ごしやすくなっていくのだろうが、本当にそれでいいのだろうか、という一抹の不安を感じる。

個人的には、マスクの着用に関しては、場を弁える必要がある、という但し書きをしつつ、着用をしていきたい、と思っている。実はけっこう昔(=コロナ禍の前から)、電車通勤をしていた時には冬場から春にかけてマスクを着用して通勤をしていた。冬になると風邪やインフルエンザが気になるし、春先くらいからは花粉にも多少気を遣っていたので年の半分弱くらいは通勤時のマスクは欠かさなかった。

他の人たちも、それこそインフルエンザの流行が始まったと聞けばそのあたりからマスクを着用する人たちが増えたし、花粉症の時期はさらにマスク率は増える。それは正しいことなのではないかな、と思うのだ。マスクをすべきではない、という謎主張をたまに耳にするが、するかどうかは本人次第なのだ。電車の中や外出時にはマスクをする、という時期があってもいいし、逆に夏の暑い最中に外でマスクを着用し続けるのは非合理的だろう*4

特に感染した経験を持つ身として、「ポストコロナ(コロナ後)時代」ではなく、「ウィズコロナ(コロナとの共生)時代」だと考えるべきなのだ、と言いたいし、「プレコロナ時代」と全く同じ生活様式にはならない、なってはいけないと思う。同じことをインフルエンザで置き換えればわかるはずだ。現代においてインフルエンザは過去の病気ではなく、16世紀から現在に時代が映っても猛威を振るう感染症であり、いまだに過去のものではない。インフルエンザとの共生をしながら数世紀が過ぎているのだ。

コロナウィルスについても同じで、まだ治療薬やウィルスそのものの根絶がなされていない以上、しばらくは、そしてインフルエンザの例を取れば、もしかすると自分の生きている時代はずっと、コロナウィルスとの共生を余儀なくされるのだろう、としか考えられないのだ。

今後どのように「また」生活が変わっていくのか、そしてヒトが変わっていくのか。興味深いところでもある。

そして次の時代に

章立てを少し変えたのだが、もう表立った症状や生活の苦労はないので、あと1~2回程度(多分金土の2日)感染日記を続けるにあたって症状や生活に関する報告は今日まで、としたい。

代わりに、コロナ感染を経て考えたことや、前述の「ポスト」vs「ウィズ」のことについて少し論じてみたい。

もちろん、俺は感染症学の専門家でもなければ政治(行政)にも疎い。いわゆる「ルールに縛られるのが嫌」な人間だ。しかし、それ以上に病気になることもイヤだし、学がないからと言って手をこまねいたり諦めたりするのもイヤなのだ。できる範囲で出来ることをやろう、と常々思っている。

そんな俺が「自分で」どうコロナと折り合いをつけていくのか、というテーマでもう少し筆を汚してみたい。

*1:自宅に人を招き入れるということはここ数年していない

*2:感染防止策を取っていたにもかかわらず

*3:感染防止策が必須であることは言うまでもないが

*4:むしろ健康被害が出るのではないかと思うくらい