午前中少し知識をインプットして、そのアウトプットとしてプログラムを少し書く。まだきちんと理解できていない部分があるので引き続き明日もインプット/アウトプットの予定。
くだらないSNS書き込み選手権
9月に入ってからはTwitterで、今週はFacebookでも「俺的くだらない書き込み」を頻繁に行った。多分きっかけはコレかな。
#国葬 を仮に国民の1割が賛成していたとして、賛成者一人当たりの「国葬」負担額は約130円(17億÷1300万人)。#国葬賛成 している人たちが缶コーヒー1本分のお金を国民生活がよくなるためのなにかに寄付すればいろいろと丸く収まる気がするけどどうなの...。 https://t.co/uJyfClyTGi
— 三浦 久志 (@racchie) 2022年9月6日
まだ真面目に書いた方だとおもうけれど、これは皮肉でしかないわけですよ。カネがどうとか言うならそのカネカンパしあえばいいじゃんね、という話。反対する人は国費の無駄遣いだといい、賛成する人は按分して大したことがないと述べ立てる。葬式を出す故人は「お国のために戦って散っていった」わけで、だったら賛成派は国のために行動を起こせばいいじゃんか、と。自分のお気持ち表明だけでなく「実際の行動」を起こすことができるかできないか。
散発的にネタ投入をしながらいろいろとTwitterを見ていて思ったのは、どちらの論調にも言えることなんだけど、あまりにも偏向的で極端な意見を持ちすぎているのではないか、ということ。同調圧力に屈しない、というのはわかるんだけど、だからと言ってバイナリー(二者択一)のどちらかしか意見を集約させるのも結局どちらかの意見に対する同調にしかならないわけで。いろんな「意見」を見ていて痛々しいと感じることは多かった。
それから、「議論」はやっぱり下手だよね、日本人。ディベートに関しても「相手を打ち負かす」ことがディベートだと思っている節を感じるのだけど、本来は相手の立場を尊重したうえで着地点を見出すのがディベートだからねぇ。勝ち負けなんか存在しないのに、論破することこそ至上、みたいな感じになっているのはイタいを通り越して気分悪くなる。
Facebookの書き込みも同じで、キラキラリア充アピールとネットストーキング*1に嫌気がさしていたので、これまた皮肉たっぷりなコンビニランチを嫌がらせのようにアップしてやろうというのが本質だったり。
おじさん構文に関しては単純に無駄なキラキラアピールにはもってこいだと感じていたので試しにやってみたのだけれど、やり慣れないことをするのはやっぱりツラいです...。
SNS書き込みの分析
そんなネタみたいな書き込みをひたすら続けてみて(簡単な)分析をしてみると、皮肉交じりな立場のわかりにくいモノはとにかくリーチしにくい。マーケティング(クリエイティブ面)での基本だけど、ベタなネタが一番。簡潔で理解しやすい方が伝わりやすいのです。
SNS、特にTwitterはコメントを一言二言くらいにして、タグやリンクが多めになる方がファーストアプローチとしては最適だということは実体験として理解できた気はする。今回インスタは使ってないのだけれど、アレも画像メインだよね。画像(または動画)+リンク、というくらいで全然クリエイティブとして成立するはず。
SNSマーケティングは簡単のように思えて意外と考えることが多い。真似事レベルではあるけれどテストをしてみてきちんとやらないといけないんだなぁ、と感じた次第。
*1:軽微なモノですがそう言えそうな行為に何度かあっておりまして